統合失調症の娘と私

30代の統合失調症の娘とシニアの親の暮らしについて、できるだけ明るく綴ります。

自◯未遂 救急搬送 警察とのやりとり

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おうちの花壇で

黄色い彼岸花が咲きました😊💕

嬉しい☺️

 

 

娘には7年半ほどお付き合いしている彼がいます。

22歳の春、

県外の大学を卒業し、地元企業に就職した

同級生の彼(Kくん)から

「会いたい」と連絡があったのをきっかけに、

交際がスタートしました。

 

Kくんは、高校の時、

元気だった頃の娘に

何度か告白をしてくれたことがあったようです。

 

保健室登校をしていた娘のこと、

高校卒業後

統合失調症で入退院を繰り返していること、

そのような経過を承知で

お付き合いを申し出てくれました。

 

交際を始めて4年後(H3年6月)、

2人は一緒に暮らし始めました。

他人との共同生活というのは、

多かれ少なかれストレスがありますが、

2人は特に大きな喧嘩をすることもなく、

楽しく過ごしているようでした。

 

ただ、

娘にとっては環境の変化に適応するのに、

大きな努力が必要だったようで、

眠れなくなって行き、

同居開始からちょうど1年後、

過量服薬で救急搬送されることになります。

 

その日は水曜日でした。

仕事終わりに携帯を覗くと

「今までありがとう」

と娘からメッセージが入っていました。

すぐ電話をかけたところ、

呂律の回らなない声。

飛ぶように娘のアパートに向かい

チャイムを連打すると、

ようやく娘が

ふらふらしながら

ドアを開けてくれました。

 

「どうした?大丈夫?」

「お薬飲んだ。もう疲れた。」

 

見るとゴミ箱とその周囲に、

前日にもらった

1ヶ月分の破かれた薬袋がたっぷりありました。

(前回のオーバードーズの反省からか

下剤だけは全て抜いていました😅)

 

私が薬を確認して、

病院に問い合わせている間に、

娘はベッドに倒れ込んで眠ってしまいました。

机の上には、

私とKくん宛の遺書がありました。

 

いつも入院している病院(車で1時間かかる場所)に問い合わせると、

「時間外ですし、満床で急な受け入れは難しいです。

内服したばかりでしたら、胃洗浄をするかもしれませんので、

近くの救急病院に行ってください。」

とのことでした。

 

Kくんにも連絡し、救急車を要請しました。

救急車が到着すると、

アパートの近所の方が興味深そうに集まってきて、
ことの成り行きを見守っていました。

救急車って大きな音がしますもんねぇ。

できれば音無しできてほしいなぁと思いました😰

 

救急車🚑に少し遅れて警察官👮も2名こられて、

経緯を根掘り葉掘り質問してきました。

やりとりを

近所の方が興味深そうに聞いていました😰

 

こっちはそれどころ(警察に対応する余裕がない)じゃないのですが、

警察官としては、

急いで調べないといけないのでしょう。

 

救急隊が「出発します!」と、

しつこい警察官の質問を遮ってくれて、

ようやく救急車は病院へ向けて出発しました。

 

🚑の中でKくんは

心配そうに娘の顔を見つめていました。

Kくんの手には娘の携帯が握られていました。

意識が戻った娘がすぐに連絡できるよう、

娘に渡すつもりだったのでしょう。

 

救急救命センターに運び込まれて、

ある程度の診断がつくまで

私とKくんと

後から来た夫は、待合室にいました。

 

そこにまた、

先ほどの警察官2人が現れ、

再び待合室で事情聴取を始めました。

家族背景、最近の様子、暮らしぶり、

病気のこと、

お薬は本当に自身で飲んだのか、

私やKくんのアリバイは...
などなどうるさいくらい聞かれました。

 

警察官も職務で

事件性の有無を調べないといけないのでしょうけど、

「もう少し家族の心情に対する配慮が欲しいなぁ」

というのが正直な感想でした😰

 

不安と心配と、

そして自らの心も傷ついいているというのに、

加害者の容疑もかけられて😱。

責任感の強いKくんの精神面も

とても心配でした。

 

「こんなことなら救急車呼ばずに

なんとか自分たちで抱えて病院に

運び込めば良かったなぁ〜」

と思ったりしましたが、

多量の睡眠薬と抗精神薬で脱力した

長身の成人を運ぶのは大変な力がいりますもんねぇ。

自力で車に乗せるのは無理でした😰

 

 

運び込まれて、待つこと2時間。

救命センター医師から

「命に別状はありません。胃洗浄はしませんでした。

点滴で様子見ます。明日退院できます。

かかりつけ医を受診してください。」

との説明を受けました。

 

翌日、救急病院を退院し、

入院経験のある精神病院の

いつもの思春期病棟に入院させていただきました。

 

「今回は、死にたかった。」

「私なんて生きてる意味がない。」

「私は死なないといけない。」

「もう生きるのがしんどい。」

「放っておいてくれたら良かったのに。」

そのような娘の言葉を聞きながら

どうにか精神病院に送り届けました。

 

生きていたくないと言いながらも、

救急病院から一度帰宅しての

精神科への入院準備は一緒にしましたので、

「これから状況が好転するかもしれない」

きっと

希望を持ってくれていたのだと思います。

 

これが

8回目の入院でした。

 

こんな経験を乗り越えながら、

毎日、頑張って生きてます😊。

 

お読みいただきありがとうございました。